世の中捨てたモンじゃない#226

育児板@2ch 「世の中捨てたモンじゃない」スレよりコピペ

226 :名無しの心子知らず:2007/06/06(水) 03:31:48 ID:YMnJ48WH
先月、千葉県内の某ショッピングセンターに娘(当時1歳1ヶ月)と行った時のこと。
電車に乗らなければならないので、空いている時間を狙ってバギーで行った。
その駅にはエレベーターがなく、帰りは娘&バギーを抱えて階段を上らなければならない。
階段を上りきってホームにいた電車に乗ろうと思ったら発車してしまった。
次の電車は別のホームなので、また階段を降りて別の階段を上がらねばならない。
仕方ないから階段を降りようと思ったら、いかにもギャルという感じの女子高生3人組に話しかけられた。
邪魔だったかなと思ってすまなそうにしていると「手伝わせてください」と。
好意に甘えてバギーをお願いしたところ、残りの二人が「赤ちゃん抱っこしてもいいですか?絶対落とさないようにします」と言って、片方の子はすごーく慎重に娘を抱いて、もう一人はいつでも娘をガードできる体制でいてくれた。
階段を降りたり上ったりしている間、「バギーって重いですね」「赤ちゃんを抱っこするのも結構大変!」と言いながら「お母さんはいつもこんなこと1人でしてるんだからすごいですね」と言ってくれた。
そして、目的のホームに着いてお礼を言っていたら、「自分のお母さんもこうやって私を育ててくれたってことを母の日の前に知れたんだから、こっちがお礼を言いたい。母の日にはちゃんと自分のお母さんにお礼を言いますね」と言われた。
なんだか心が温かくなって号泣しそうになった。
その子たちは「私たち、あっちなんで…」と言って元々私がいた方のホームに戻っていった。
わざわざ乗るべき電車を見送ってまで別ホームに行く私を手伝ってくれたのだ。
それに気付いて走ってもう一度お礼を言いに行きたかったが、娘&バギーでどうにもならない。
自分のいるホームから女子高生たちに「本当にありがとう!」と言ったところ、今度は娘に向かって「優しいママで羨ましいぞー」と叫んでくれた。

娘も将来あんな心優しい子になってくれたらいいな。
そうなるよう母ちゃんは頑張ります!!

長文失礼しました。

何コレ。まじ泣けるんですけど

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斎藤公子さん@読売新聞

さくら保育園の創設者である斎藤公子さんの記事が、読売新聞に載っていた。

識者に効く「裸足の遊び 人生の土台」 斉藤公子(保育実践家)

「足の親指を鍛えるのが育児の原点」と話す斉藤公子さん。動きにくいオムツを外してパンツに代え、赤ちゃんを庭に出すと、まずハイハイで目指すのが水遊び場、次が泥遊び場と決まっている。裸足で、体中を使い指先を使い、全身に血がめぐる。おなかが減り、疲れ、よく食べ、よく眠る。これが本来の姿。

子供が「ただいま」と帰ってくれば、すぐに外で近所の子供と遊べるようにして欲しい。頭より体、勉強よりぞうきんがけ。人間としての土台は、足の親指で大地をけって山を上ること。私が幼い頃斜面を滑ってパンツが切れても母は笑っていた。今は洗濯機に入れるだけなのに、子供の服が汚れるのを嫌がる親がいる。今の子供が不幸なことをわかってない。

「3歳では遅すぎる」などという英才教育の勧めにあせった親が競い合う現状は残念に思う。例え試験にうかっても、大人になれば人だが、ゆっくりと十分に遊び、暴れた子供は、結局は伸びる。

勉強よりも、良い絵本を読み聞かせ、正義感あふれる、感受性豊かな子供にするほうが大事でしょう。うちの保育園では文字も数字も教えない方針だった。足の指先までしっかり動かせるようになった子供こそが、文字学習に入る準備ができたというしるしだから。

赤ちゃんはまず舌で世界をなめ回し、魚のように背骨をくゆらせ、両生類のように腹ばいでハイハイし、やがて人として2本足で立つ。もちろん私はこうしたことを長年の経験と観察から学んだだけ

でも学者たちが「幼児期の体の刺激が重要」「個体発生は系統発生を繰り返す(胎児が母親の胎内でまるで生物の進化をたどるように育っていく)」と話すのを聞き、間違いではなかったんだと心強く感じた。

私は子供たちの機が熟するまで水彩画は描かせない。ところがある年、熱心な保母さんが子供たちに早々に絵の具を与えてしまった。子供たちの絵は貧弱で、やがて描かなくなった。その先生は困ってしまった。私は「ではあなたたちが庭にすごい山を作って、子供たちに掘らせて」と課題を与えた。

一人ずつスコップを与えられた子供たちは、喜々として山の周囲から穴を掘り始めた。雨と食事の日以外はひたすら穴掘り。当たり前だけど泥だらけ。子供が帰ってくると親は「犬小屋で寝なさい」「風呂が沸くまで上がってこないで」と怒ったけど、「斉藤がやらせたのなら」と我慢して見守ってくれた。

3ヵ月後。ついに穴が貫通し、みんなで穴の中をくぐってみた。それから「遊びきった」子供たちに絵を描かせたら、何と豊かで生き生きした絵に変わったことか。

子供は、大人が何かを教え込む存在ではない。体を使って遊ぶことで、初めて自分の意思が生まれる。自主性を尊重しなければ子供は開花しない。土台がない場所に、何も積み上げることは出来ないのです。

2008年2月23日 読売新聞 朝刊より

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抱きなさい 子を

抱きしめなさい
子を
育児書を閉じ
子育てセミナーを欠席し

抱きしめなさい
子を
誰にも遠慮せず
あなたの子を
しっかりと
抱きしめなさい

抱きしめなさい
子を
母の膝が
子どもの愁いの
すべてを除く
その時代に

いつか母の膝は
子の悲しみに近づけない
日がやって来る
やがて母の手が
子の涙を拭いてやれない
日が訪れる

きっと来る その日
子が涙を拭う手に
柔らかな記憶の手が重なるように
痛む子の心が
温かな思い出の膝に包まれるように

母よ
抱きしめなさい
子を
もう何もしてやれない日のために
抱きしめる手が
子の未来に届くよう
幾度も 幾度も
抱きしめなさい

母たちよ
やがて別れる者として
あなたの子を
しっかり胸に
抱きなさい

『お母さんと呼ばれるあなたへ』(浜文子/2001年 立風書房)より

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無心

子どもを見ていると、小さければ小さいほど、親、特に母親に対して、「無心」に「虚心」に、そして「素直」に、自分の全存在を投げ出して、無防備に接します。

その様子を「疲れる!」と感じるか、「甘ったれているわ……」と解釈するか、「このままでは自立心が育たないのでは」と分析するか、それとも、子どものありのままの、そんな姿を「虚心」に「すごいな。子どもって! 私に全幅の信頼を置いてくれている……」と受け止め、「素直」に感動するかで「母であること」の意味は大きく違ってきます。

『お母さんと呼ばれるあなたへ』(浜文子/2001年 立風書房)より

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